プレスリリース    2005/5/29


戦後60年を経て
フィリピン残留日本人(日系2世)の
Carmen Ebeこと井手端和子(いでばたかずこ)さん(82歳)、
Sanay Lumbayonこと井手端早苗(いでばたさなえ)さん(76歳)
姉妹が初来日します!

 記 者 会 見

日時 2005年5月30日(月)16:00〜
場所 東京地方裁判所司法記者クラブ
発言者 井手端和子・早苗 (申立人)
弁護士・河合弘之、青木秀茂、町田弘香、望月賢司
(申立代理人・さくら共同法律事務所)
竹澤大助(日本国籍を持つ日系2世・通訳)


フィリピン残留日本人
Carmen Ebeこと井手端和子(いでばたかずこ)さん(82歳)、
Sanay Lumbayonこと井手端早苗(いでばたさなえ)さん(76歳)の来日日程

 1日目 5月28日(土)
 7:45 フィリピン・ミンダナオ島ダバオ市発 フィリピン航空にてマニラへ
14:40 マニラ発 フィリピン航空PR432便にて
19:55 成田空港 第2旅客ターミナル着
リムジンにて都内へ移動 (栄進舘泊)

 2日目 5月29日(日)
 
  休息日(都内散策) (栄進舘泊)

 3日目 5月30日(月)
11:00 同級生と対面、昼食 (さくら共同法律事務所 大会議室 * )
取材も可です。住所:千代田区内幸町1−1−7 大和生命ビル16階            

14:00〜15:30
東京家庭裁判所・審判期日(裁判官面接)

16:00〜17:00
 
東京地方裁判所 司法記者クラブにて記者会見 (栄進舘泊)
 4日目 5月31日(火)

  都内観光(皇居、浅草など) (栄進舘泊)

 5日目 6月1日(水)
 18:00〜

休息日
NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンターの総会に参加 (ルーテル市ヶ谷泊)

 6日〜7目 6月2〜3日(木)    

  自由 (ルーテル市ヶ谷泊)

 8日目 6月4日(土)   フィリピンへ帰国


来日者プロフィール
井手端 和子 (82) 申立人 (生年月日 大正12年(1923年)2月11日)
井手端 早苗 (76)  申立人 (生年月日 昭和3年(1928年)7月14日)
竹澤 大助 (73) 申立人のいとこ(申立人の母Ebeと竹澤大助の母Akaが姉妹)。フィリピン残留日本人(日系2世)で、戸籍登載が認められた第1号(平成7年)。本籍 長野県。ビサヤ語通訳として裁判官面接にも立会う予定。
Eulalia Te Lumbayon
(エウラリア テ ルンバヨン)(58)
申立人井手端早苗の娘 (付き添い)
Analiza Lumbayon Ho
(アナリザ ルンバヨン ホ) (32)
申立人井手端早苗の孫 (付き添い)

同級生プロフィール
小野寺 八重子さん
(おのでら やえこ)
埼玉在住。申立人早苗とフィリピン・ミンダナオ島ダバオ市のトンカラン日本人尋常小学校の同級生。
女学校進学のため開戦直前に帰国。家族は戦後引揚。
萬谷 千代子さん
(まんや ちよこ) (80歳)
埼玉在住。申立人和子さんと同校の同級生。父日本人、母フィリピンのバゴボ族の女性。
戦後父とともに日本へ強制送還。母と下の妹は残留。
河相 美代子さん
(かわい みよこ)
神奈川在住。申立人和子さんと同校の下級生、早苗さんの上級生。本人も残留日本人2世だが、身元は判明しており、数年前から家族(子、孫)とともに日本に滞在。
※小野寺八重子さん保管のトンカラン日本人尋常小学校の記念写真を記者会見当日、お見せします。


井手端和子さん、早苗さんの宿泊先
■ 旅館 栄進舘
東京都新宿区坂町5-1
四谷駅近く。JR/南北線/丸の内線
電話 03−3353−0821
■ ルーテル市谷
東京都新宿区市ヶ谷砂土原真茅1−1
市ヶ谷駅近く。JR/有楽町線/都営新宿線
電話 03−3260−8621

この件に関する問い合わせ先

フィリピン日系人リーガルサポートセンター事務局 石井・松本まで
〒160-0004 新宿区四谷1-21 戸田ビル4階
Tel 03−3355−8861  Fax 03−3355−8862
E-mail info@pnlsc.com   HP http://www.pnlsc.com
携帯 090−9859−9135 (石井) / 080−1079−4650(松本) URL http://www.pnlsc.com



フィリピン残留日本人姉妹が、就籍許可申立の裁判官面接のため、
戦後60年目で初来日します。
フィリピン日系人2世(フィリピン残留日本人)のカルメン・エベこと井手端和子(いでばたかずこ)さん(82歳)、サナイ・ルンバヨンこと早苗(さなえ)さん姉妹(76歳)は、さくら共同法律事務所の河合弘之、青木秀茂、町田弘香、望月賢司弁護士を申立人代理人とし、平成16年8月6日、東京家庭裁判所に家事審判申立を行いました。(事件番号平成16年6822号)及び(事件番号平成16年6823号)申立の趣旨は、日本人父親・井手端仁市とフィリピン人母・エベ・ルンバヨンの長女として就籍*することの許可を求めたものです。今回、本件の審判期日が5月30日午後2時から行われ、そこで証言をするために井手端姉妹が初来日します。その後、別紙の要領で、東京地方裁判所司法記者クラブにて記者会見を行います。なお、審判期日には、フィリピンの日本人学校でいっしょに学び、日本に引揚げた同級生の方2名も証言します。 

【申立の背景】
明治以降、日本政府は移民を盛んに勧め、フィリピンには満州に次いで多くの日本人移民がいました。(3万人を超える)うち2万人はアバカ(フィリピン麻)の生産を生業として、ダバオ周辺に豊かな日本人社会をつくっており、多くはフィリピン人と結婚し家族をもうけ、現地社会にとけ込んで生活していました。しかし、第二次世界大戦の勃発により、日本人社会は日本軍への協力を余儀なくされ、アメリカ軍やフィリピンゲリラと戦うことになりました。約二年間で日本軍は敗走し、混乱の中、日本人民間人も死亡したり、捕虜収容所行きとなり、後に日本へ強制送還されたのです。こうして日本人の血をひく子ども達がフィリピンに置き去りにされることになりました。
戦後彼らは、日本軍の残虐行為の報復の対象となったため、日本人の血をひくことを隠し、証拠も捨てて暮らすしかなく、社会的地位が低く、生活も貧しい者が多いのが現状です。戦後60年がたち、支援の輪が広がり、今回ようやく井手端姉妹の日本国籍確認のための就籍*許可申し立てをおこすことになりました。

【申立人について】
申立人の父、仁市(明治32年生まれ)は、フィリピンダバオに渡り、アバカ農園で働きました。1922年、申立人の母エベ・ルンバヨン(1906年生まれ、1953年死亡)と部族方式(バゴボ族)で結婚しました。その後、申立人二人が出生しますが、病気にかかった仁市は治療のために戦前に帰国しています。最近見つかった仁市の戸籍によると、彼は1940年に日本人女性と結婚しています。女性はまもなく死亡し、別の日本人女性と再婚しました。その後まもなく(昭和20年)仁市は死亡しています。残された申立人は戦争のため、日本人の子であることを隠して生活しており、戦後、仁市やその親戚との交流は一切ありませんでした。

【国籍について】
申立人が生まれた当時施行されていた国籍法(明治32年3月16日法律第66号「旧国籍法」)の一条によれば、日本人の父より生まれた子は、日本国籍を持てることになっている。申立人は出生の際、両親が婚姻しており、法律上の父子関係が生じているため、日本国籍を取得していた。しかし、長く日本人であることを隠しフィリピン人として生活してきたため、父親との身分関係を証明するものがなく、日本国籍を確認することができなかった。今回、父仁市の戸籍に登載するのではなく、就籍をする運びとなったのは、父仁市が帰国後、日本人と婚姻しており、数十年の歳月が過ぎた今、その婚姻を取り消すことが難しいとの事情があるためである。
*就籍・・・「本籍を有しない者は、家庭裁判所の許可を得て・・・就籍の手続きをしなければならない。」(戸籍法110条)

【今回の申し立ての意義】
フィリピンには、1995年から現在まで、わかっているだけで約2500人の残留日本人(日系2世)が存在しています。フィリピン日系人リーガルサポートセンターでは、フィリピン現地の日系人会と共同で、彼らの身元判明のための調査を行っています。
約半数の身元が判明してきていますが、確実な証拠書類や多くの証言があるにもかかわらず一世の身元が判明しない方が数多く残っています。今回の就籍申し立てが認められれば、この方々への救済の道も開くことになります。
なお、井手端姉妹は現在、来日のための渡航証明書の発行をフィリピン外務省に願い出ていますが、複雑な事情のため手続きに時間がかかっています。
表記の件の問い合わせは、フィリピン日系人リーガルサポートセンターまでお願いいたします。

NPO法人 フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)
〒160-0004 新宿区四谷1-21 戸田ビル4階
Tel 03-3355-8861 Fax 03-3355-8862 E-mail info@pnlsc.com HP http://www.pnlsc.com
担当:石井、松本