一時帰国、熊本・沖縄に同行レポート
 11月28日に就籍係属中の熊本家庭裁判所出廷を中心とした永田オリガリオさんの一時帰国(3泊4日)が始まった。オリガリオさん父は身元が知れないこともあって、報道各社の取材を経て広く一般市民からの情報を集めることを期待するものでもあった。
   記者会見では自己の身元、フィリピンでの処遇、日系人としてのこれまでの苦労等々多くの幅広い質問があり、二重通訳を経てすべて回答した。翌日は熊本県庁と熊本市副市長他関係役職者へ表敬訪問し、かつ、各方面への情報提供依頼をお願いした。両庁ともに「残留日本人情報収集は初めて扱う件」との回答ではあったが、今後の協力をお約束いただいた。
永田オリガリオと佐藤弁護士 (2).jpg  午後には熊本家庭裁判所出廷したが担当調査官との面接は、途中休憩が入るほどの3時間30分に及ぶ長い面接時間だった。父について「出身地は熊本」というだけの情報しかないという心もとない状態ではあるが、本年より開始された外務省立会での聞き取り調査という証拠を抱えて、オリガリオさんは真摯な受答えに終始した。フィリピンよりはずっと寒い熊本で、「こういう寒さも初めてだ」と言いながら、健康を損なわず、天候に恵まれて父の出身地、熊本を堪能したようだった。

 さて、続く12月1日からの沖縄一時帰国だが、こちらは身元が判明した冨里きょうだい3人が一時帰国した。直前に那覇家庭裁判所から、就籍許可の審判が下り、一時帰国に花を添え、きょうだいたちには大きなプレゼントとなった。
 今回はフィリピン政府関係者も同行、総勢9名という大人数での一時帰国であった。那覇国際空港では糸満や那覇からの多くのご親戚各位、報道関係者と、多くの人数が集まった。いつもながら、沖縄での親族交流には温かさを感じる。そして帰国者も親戚もお互いに高齢者になり、両方ともに初顔合わせなのに、懐かしさも混じる。血筋だろうか?
村上弁護士と親族冨里出迎え (2).jpg  フィリピンに子どもがいると聞いていた、という親戚の方の話を聞くと、もっと早くに、父親が生きている間に何とか出来なかったのか、と、調査に対する自責の念もわいてくる。きょうだいたちの訪沖の感想は「フィリピンに似ている」「人も街も綺麗だ」に集中した。食べ物も沖縄で紫芋を甘くした「きんとん」、サーターアンダーギー、など非常に似通っている。移民1世たちは、気候もさることながら、似た食べ物の存在に故郷を思いながらも、フィリピンに家庭を作る覚悟も形成されたのかもしれない、と考えた。
 糸満市にある墓はひときわ大きな亀甲墓で、敷地も圧倒される広さであった。
午後には平和祈念資料館を表敬訪問した。同館館長より、残留者の苦労をねぎらう発言と激励をいただき、一同感激であった。これに応えて比高官からは、日本財団との共同事業である就籍や一時帰国事業を高く評価する発言があり、日本財団、当所ともども鼻が高かった。

 その後、父の生家へ立ち寄ったが生家近くの近所の方々が道傍で拍手をし、口々に「お帰り」と出迎えの声掛けをしてくれたのも、大きな嬉しさであった。日比両国親戚関係者たちは高齢の方々が多いため、今すぐの行き来は無理としても、今後はその下の世代が、「海の向こうに血の繋がった親戚がいる」という意識のもと、交流を深め、絆を太くしていってほしいと願う。(PNLSC事務局 高野敏子)