Part 12 2014年1月15日~3月28日
欠けたアイデンティティの回復とは
事務局 金丸友香
入所して3年が経ち、多くの日系人の方々をインタビューしてきた。その中で、2世の方々の身元捜しへの思いを聞くことが多々あった。父親がどういう人だったか知りたい、父の最期を知りたい、日本人・誰某の子どもとして認められたい、戦後色々な機会を奪われた自分の代わりに、子どもや孫には機会を与えたい、など本当に様々であった。その中でも、今年1月15日~3月28日までの出張中、特に印象に残った2世の話があった。
ダバオで面接をしたある2世女性は、以前父に対して持っていた気持ちは、怒りや反発が大きかったという。小さい頃は日本人とからかわれ、また父親がいないことで生活が苦しかったそうだ。そのため、成長してからは「父がいなくても自分の力で生き抜いてきた。苦しい時にそばにいなかった父など、今更必要ない」という思いを持っていた。しかし、それも年をとるにつれて変わり、自分の欠けたアイデンティティを埋めたい、そのためにも父に会いたい、と思うようになったという。長く身元捜しを続けるうちに、子どもたちからは諦めるよう説得されたこともあったというが、「両親が揃った家庭で育ったあなたたちには私の気持ちはわからないわ、と言ったの」と話していた。
コタバト市内の2世宅で聞き取り(筆者は左)
別の2世男性は戦中に生まれ、日本軍に協力していた父親は、終戦前に行方不明になった。そのため、彼は父親の顔を知らないし、思い出もない。20年ほど前、初めて自分の出生証明書を見つけた。そこには父の名前があり、自分の名前も日本名で登録されていた。それを見て以来、日本人の血を引いているというアイデンティティを強く意識するようになったという。面接の終盤に、彼は日本の親戚にぜひ会ってみたいと言い、こう語った。「経済的な援助や遺産を求めるつもりはありません。母親側の親戚は知っているけど、父親側は空白なんです。自分の『欠けた家系図』を完成させたい。」
聞き取り後、2世から4世まで勢ぞろい。
後列右から2番目が筆者。
今までも、会ったことのない親、小さい頃に生き別れた親ならば、「会ってみたい」「どんな人か知りたい」という思いが湧いて来るのは当然だろうと思っていた。しかし、前述の二人の言葉を聞いて、多くの2世が言う「アイデンティティが欠けている」という意味がわかるようになってきた。両親、祖父母、そのまた親からつながってきて、初めて自分が存在しているわけだが、その一部がすっぽりと抜けてしまっているということだ。それも、遠い祖先ならまだしも、一番つながりの濃い親である。
育った環境も境遇も違う私では、2世の気持ちを完全に理解するのは難しいかもしれない。しかし、できる限り彼らの気持ちに寄り添いながら業務に取り組んでいきたいと思う。