フィリピン残留日本人の歴史 〜戦前〜
戦前のダバオのバヤバス日本人小学校
(提供:沖縄ダバオ会)
フィリピン残留日本人とは、19世紀末から第2次世界大戦終結までの間にフィリピンに渡った日本人移民の子で、戦争によって父あるいは両親と離れ離れになり、現地に残された人びとです。戦前、フィリピンに移住した日本人は、努力の末、豊かな移民社会を築きました。その数は最盛期には約3万人にものぼりました。フィリピン人女性と結婚し、家族をもった日本人も多くいました。当時日本もフィリピンも父系主義の時代。両親から生まれた子は本来日本国籍を保持していました。
フィリピン残留日本人と戦争
ところが日本軍の侵攻に伴い在留邦人は戦争協力を強制され、日本人移民社会は国家総動員体制に組み込まれました。隣人であり、親戚であり、同僚であったフィリピン人と、敵同士として争うことになりました。適齢期に達していた2世たちも軍人軍属として現地徴用されました。
多くの1世が戦争で命を落とし、生き延びた1世は、日本に強制送還されました。子どもたちの多くはフィリピン人母とともに残されました。終戦時、両親ともに亡くし、文字通り、孤児となった2世も少なくありません。
フィリピン残留日本人の戦後
戦後の反日感情の強いフィリピンで、日系2世たちは日本人であることを隠し、日本名をフィリピン名に変え、かろうじて生き延びました。教育を受ける機会に恵まれず、そのため多くの日系人家族はフィリピンの貧困層に属しています。年頃の2世女性はフィリピン人や中国人と結婚することで迫害をまぬがれ、生活の糧を得ました。夫を失った1世妻の多くも生活のために再婚しました。一方、中には夫の帰りをずっと待ち続けた人もいます。
戦後50年を経て開け始めた道 〜1980年代・90年代〜
反日感情が和らいだ80年代に入ると、日系人自らがフィリピン各地で日系人会を組織し、存在の証を求めて立ち上がりました。90年代には日本の民間ボランティアの協力で2世の身元確認や国籍確認、3世、4世の定住ビザ取得の道が開けました。90年代後半から、身元が判明した日系3世(4世)の多くが定住ビザで来日し、日本各地の労働現場で日本経済と日本人の暮らしを支えています。
今なお残るフィリピン残留日本人の苦しみ
しかし、今なお身元のわからない残留2世が800人以上います。彼らは高齢で、次々に亡くなりつつあり、身元調査、戸籍回復が急がれます。
現地調査報告を読む
この問題に取り組むPNLSC(フィリピン日系人リーガルサポートセンター)について
『ハポン―フィリピン日系人の長い戦後』
大野俊著 第三書館
1991年
『ダバオ国の末裔たち フィリピン日系棄民』
天野洋一著 風媒社
1990年
『バギオの虹 シスター海野とフィリピン日系人の100年』
鴨野守著 2003年
『Japanese Pioneers in the NorthernPhilippine Highlands―A Centenial Tribute 1903-2003』
Filipino-Japanese Foundation of Northern Luzon,Inc. 2004
この書籍に関するお問い合わせはinfo@pnlsc.comへ。
その他関連書籍
『ああ わが祖国よ国を訴えた中国残留日本人孤児たち』
大久保真紀著 八朔社
2004年
『無国籍』
陳天璽著 新潮社
2005年
『パパからの初めての手紙』
JFCを支えるネットワーク編 泉書房 2005年
この書籍は「JFCを支えるネットーワーク」で購入できます。お問い合わせはjfcnet@jca.apc.orgへ。