今年第一回目の一時帰国では、知念ノルマさんが父の故郷・沖縄を訪れ、叔母や叔父などの親族と対面します。


帰国者プロフィール


知念ノルマ顔写真

氏  名:知念 ノルマ
生年月日:1942(昭和17)年2月2日(71歳)

家族構成:
父 : 知念 常保(じょうほ) 1945年3月死亡
母 : 知念 マルガリタ 2005年死亡
長女: 知念 ノルマ(本人) 日本名なし



日本人父、知念常保は、1935(昭和10)年に長崎からフィリピンへ渡り、カマリネスノルテ州ホセパンガニバン町ララップで漁師をしていた。父常保は、カマリネスノルテ州パラカレ町に住む米国人宅で料理人として働いていた母マルガリタと出会い、1942(昭和17)年2月2日に長女のノルマが生まれた。その後両親は、1942(昭和17)年9月8日にパラカレ町役場で結婚した(婚姻証明書あり)。


結婚後、両親はカマリネスノルテ州ダエット町にあった母の実家で、母の家族と共に暮らした。父はタガログ語が少し話せたため、戦争中は日本軍の通訳をすることもあった。戦争末期、反日感情が高まっていたこともあり、母は父に日本への帰国を勧めた。父は日本へ帰国することを決め、他の日本人らと共にトラックでマニラへ向かったが、その後父から連絡はなかった。母は、父が本人をとても可愛がっていたので、「生きていたら絶対に探しに来るはずだ」と言っていた。


戦後、母はフィリピン人男性との間に1男1女をもうけたが、周囲の人々はみな本人が日本人の子どもだということを知っており、本人は父の姓「チネン」を使用していた。本人は高校に途中まで通ったが、母の野菜売りの仕事を手伝うため、卒業は出来なかった。本人19歳の時、フィリピン人男性フェリックス メナと結婚、4男2女をもうけたが、末の男の子は幼少時に死亡した。母は1992年に心臓病が発覚し、それからは本人の異父弟と暮らしていたが、2005年に亡くなった。


1988年にラジオで残留日本人調査があると聞き、父親の身元を探すため、本人は日本大使館へ手紙を書いた。質問票を記入して提出したが、大使館からは「結果を待つように」との連絡があったきりとなった。1995年にふたたび大使館に問合せの手紙を出した結果、同年9月に「厚生省の調査では親族が見つからなかった」という返答があった。


2005年に知人の紹介で訪れた日系人会連合会に身元調査を依頼し、PNLSCのインタビューを受けた。PNLSCが日本で調査をした結果、父親がフィリピンへ渡航した記録(下付表)が見つかり、戸籍を入手した。戸籍の情報と両親の婚姻記録の氏名・年齢、と一致し、本人も父の出身地を「沖縄」と申告していたことから、情報がすべて合致し身元判明となった。今回の一時帰国中に、沖縄津堅島に住む父の弟妹ら親族と初めての対面をする。

この件に関する問い合わせ先 
特定非営利活動法人 フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)
〒160-0004 新宿区四谷1-21 戸田ビル4階
Tel 03-3355-8861 Fax 03-3355-8862  E-mail info@pnlsc.com
URL http://www.pnlsc.com

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