2012年、二回目の一時帰国をすることになったのは、本田ダビッドさん(67歳・ケソン州在住)です。8月7日~10日、父の故郷である熊本に滞在しました。



ダビッドさんの両親が出会ったのはレイテ島。バコロド市出身の母はそこで医師として働いていました。二人の間には1944年に長女が生まれ、母は第二子であるダビッドさんを妊娠しますが、日本軍に参加していた父はダビッドさんが生まれる前に消息不明となりました。


本田寅雄 写真

ダビッドさんが持っていた父の写真

1950年、ダビッドさんがまだ5歳の頃、母親も仕事の無理がたたり病死。その後は姉とともに母方の祖父母に引き取られ、育てられました。ダビッドさんは祖父母が所有していた唯一の父の写真を若い頃に譲り受け、大切にしてきましたが、父を探す手立てもわからないまま時間が過ぎていきました。


2009年、テレビのニュースで日系人のことを耳にし、PNLSCの連絡先を探し出し、身元調査を依頼しました。手がかりは名前だけでしたが、父の戸籍がすぐに判明。驚くことに、戸籍にはダビッドさんの母との結婚がきちんと登録されていました。また、戦後日本へ強制送還された父は、新しい家族を持ち、ダビッドさんに異母弟がいることも確認されました。


8月7日、名古屋を経由して熊本空港についたダビッドさんをまず出迎えたのは、異母弟の孝明さんでした。二人とも涙を浮かべ、無言でしばらく抱き合いました。
ダビッドさんは、記者会見では「今までは痛みの多い人生だった。しかし今回、人生には痛みだけでなく美しいこともあるのがわかった」と親族との対面を喜んでいました。また親族から、父が日本へ送還されたあとも、フィリピンの家族のことを日本の家族によく話しており、いつもフィリピンへ戻りたいと言っていたことを聞き、「フィリピンでは捨てられた子、として見られてきた。でもそうではないと知ることができてよかった」と語りました。


寅雄・生家にて

親族と、父の生家で。後列右から二番目がダビッドさん

続く2日目は、異母弟の孝明さん宅で父の法要に参列、その後父の墓参も果たすことが出来ました。大勢の親戚に温かく迎えられたダビッドさんは、日本へ行けなくてもせめて父の写真をもらえれば満足だと思っていたと言い、考えていた以上の歓迎ぶりに驚きと嬉しさを隠せない様子でした。父の生家、通っていた小学校、父が魚を捕っていた簗などを見学しながら、親族から父にまつわる話をたくさん聞かせてもらい、一度も会うことの出来なかった父に思いを馳せるように遠くを見つめ、目を細めていました。


3日目は、親族の皆さんと阿蘇観光へ。この頃には皆さんともすっかり打ち解け、楽しくお話をしながら阿蘇の自然を楽しみました。
10日はいよいよマニラへ戻ります。ダビッドさんは、娘にすぐに日本語を勉強を始めさせる!と意気込み、親族の皆さんと別れを惜しみながらも、再会の約束をし、マニラへ向けて出発しました。

昼食会

親族との昼食会

P1060621.JPG

抱き合い、再会を約束する



今回の一時帰国でご支援、ご協力をいただきました皆様に、心より御礼を申しあげます。




この件に関する問い合わせ先 
特定非営利活動法人 フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)
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