Part 1 2004年 6月17日〜6月20日
日系人社会の自立的展開へ 支援の必要性を痛感した現地調査
弁護士 青木 秀茂
6月17日から6月20日まで、企業協議会の関野顧問・伊藤会長等の方々及びPNLSC事務局の石井さんと、マニラ・ダバオを訪問いたしました。直接の目的は、企業協議会がスポンサーとなって企画したフィリピン日系人会連合会の会合に参加することでしたが、途中マニラで連合会会長のカルロス寺岡氏と会談し、マニラの日本大使館とも打ち合わせを行い、翌日はダバオ領事とも会談し、さらには2日間に渡り、残留2世の身元調査のための本人からの聞き取り調査も行いました。
フィリピン日系人の地位の向上のためには、まず経済面を向上させることである(経済派)、否、教育こそ地位向上の原点である(教育派)などという考え方の相違があることは聞いていましたが、今回フィリピンを訪問し、フィリピン日系人会連合会の会合自体が、予算がなく定期的に開催できないという現状を目の当たりにすると、「そんなの両方だ」「離陸するまでは、日本から金をつぎ込んでも強引に押し上げるべきだ」という強い思いにかられました。
ダバオ生まれの引揚者で知人の内田さんとPNJK(ダバオの日系人会)で話をしている時、「昔よりずっと良くなったんだ」という話を聞きました。連合会の寺岡会長や連合会の会合に出席された各日系人会の会長、シュセブン・オステロ氏をはじめとするPNJKの人々、レイ・ダコネス氏をはじめとする互助財団の人々、日系人の地位向上のため献身的に活動されている多くの人々も、実際にこの目でえ見、話すことができました。
ただ、それでも私にはフィリピンの各日系人会が日系人の地位向上に向けて自立的に回転しているとは感じられませんでした。自分の力で独自に回転を始めるまでには、まだまだ強力な援助が必要だと思われました。この援助を実践している企業協議会の方々の活動には本当に頭が下がります。日本において、フィリピン日系人問題をより多くの人に理解してもらい、援助の裾野を広げる必要があると痛感しました。身元調査で残留日本人2世の方々の話を聞いていると、本当に重い人生を感じます。自分ではどうにもならない戦争という力に圧し潰されながらも生き続けている事実に、尊敬の念さえ持ちました。
日本人1世の配偶者の方にもお会いしました。1世橋本茂さん(戦前ダバオに移民し、現地徴用されて戦死)の奥さん、ロサリオさんは80歳になろうという方でした。現地では比較的経済的に恵まれた方だと感じられましたが、日本にある夫の戸籍に婚姻を登載して欲しいとのことでした。
日本国籍を取得すると、フィリピンでの土地所有が制限される、フィリピンに来るのに日本国のパスポートを所持することになる等、不利益な面を説明し、なぜ戸籍に登載して欲しいのかと問いかけました。「夫の墓に一緒に入りたい」それが彼女の答えでした。彼女の人権を尊重しないわけにはいきません。
日系人3世の方々も決して幸せな生活を送ってきたわけではありません。3世の方の人権も制限されてきたことは聞き取り調査の過程で痛感しました。
戸籍登載・就籍・定住ビザの取得は、彼らの人生からすれば、ささやかな人権回復手段の1つにすぎないと言えます。しかしフィリピン日系人の地位が少しでも向上し、人権の一部でも回復されるならこれに越した幸せはないと感じた今回のフィリピン訪問でした。(Hideshige Aoki)