Part 9 2011年5月9日〜7月5日
家族の暮らし引き裂いた戦争の理不尽さを感じた。
事務局 金丸友香
今回,フィリピンへの出張の機会をいただき,5月9日よりマニラを拠点にフィリピンに滞在している。
本年3月22日にフィリピン日系人リーガルサポートセンターへ入所してから初めてのフィリピンへの出張であり,私個人としても初のフィリピン訪問であったため,緊張と期待を胸に成田空港を後にした。PNLSCマニラ事務所で2件の聞き取り調査を終えた後,5月13日~18日にセブで,また5月19日~24日にダバオで現地調査を行った。
PNLSCに入所してから1ヶ月あまり,東京の事務所では,父親の手がかりが非常に少ない日系2世の方から,証拠を集めて現在就籍の申し立て中の方など,様々なケースを見てきた。しかし,現地で,ある時は自宅まで伺い,2世や3世の方から聞き取り調査をして,残留2世を取り巻く状況の多様さに改めて驚かされた。
ある通りには家がなく路上で暮らす人々を残しながらも,ひとたび巨大ショッピングモールや高層ビルに囲まれると開発途上国にいることを忘れてしまいそうなマニラで、家族に囲まれて暮らす3世,日系人会事務所から車で何時間も山道を行った集落で静かに暮らす2世,成人した子ども達に仕事がなく現在も働いて家族を養っている2世,戦後学校へ通い,警察官などの職に就き地位を築いた2世など,彼らの現況は様々だ。それと同様に,彼らの父親あるいは祖父である1世の戦前の暮らしぶりも様々であり,今回の聞き取り調査を通じて, 1世たちの戦前のフィリピンでの生活や人となりを垣間見ることが出来,非常に興味深かった。
特に,今回聞き取り調査をした中では,1世が現地の言葉を覚え,近所の人ともコミュニケーションをよく取り,地域に溶け込んでいたケースが多かったように思う。フィリピンに根付いて家族と生活をしていくつもりだったのだろうなと想像させられることがよくあった。そんな中でも,あるケースでは,妻の連れ子も引き取り可愛がっていた1世が,戦中に徴兵されながらも,山中に避難した家族にこっそり会いに来ていたとの証言も出てきて,仲睦まじく暮らしていたであろう家族を引き裂くこととなった戦争の悲惨さと理不尽さも深く感じた。
終戦から66年が経とうとしている中で,戦中・戦前のことや父親のことに関する詳細な記憶を持つ2世は少なくなっている。幼少時,あるいは自分が生まれる前に離別した父親の話を2世から聞き出すことには,困難を感じざるを得なかった。また同時に,初対面の外国人に何やら色々質問される,という滅多にないシチュエーションの中で,2世や証言者に,緊張したり身構えたりせずに自然に話をしてもらうということの難しさ,自身の技術の未熟さも痛感することとなった。それでも,今回話を伺った方々はとても親切で,私を温かく迎えてくれ,非常に嬉しかった。小さい頃自宅を日本軍の駐留場所にされてしまったという女性は,当時日本人によくしてもらったといい,私が日本人だと告げるととても喜び,頬にキスまでしてくれた。戦争中にもかかわらず周りの人を大事にした日本人がいたことや,戦争を体験しても日本に対してよい感情を持っているフィリピン人がいることに,少し心の休まる思いがした。
今までの聞き取り調査の中で一番印象に残っているのは,ある2世の方から聞いた,「父がいなくならなければ,私はあんなに苦しい生活を送らずにすんだだろうに」という言葉だ。現在身元判明や就籍に向けて調査を続けているケースは,証拠や1世に関する情報が少なく難しいものが多くあるが,様々な思いを抱えて待っている残留2世の方々のためにもより一層の努力をしていきたいと思う。